2010年10月31日日曜日
古民家何年
今日もいちど剥がしたトタンを持ってきては具合を見る。
叩いて伸ばして切って貼る。
ここまで来た。
これは取りかかる前。
目に見えることが全てじゃない。
でもやっぱり目に見えた成果はうれしい。
家の横には実を付けた柿の木。
作業終わりに目についた。
「甘柿ですかね。」
「甘だと思うんだけどねや。はたき落として食ってみね。」と良雄さん。
「うん甘いっす。」と今日手伝ってくれた友人。
桃栗3年、柿8年。
古民家何年。
2010年10月30日土曜日
平丸出身の吉川さんのメモ「古屋の間取り」
メモを整理していたら、出てきた。
平丸出の吉川さんが以前書いてくれたメモ。
「古屋*の間取りっていうのは、こうなんだわね」と。 *古屋(茅葺きの昔ながらの家)
丁度また、四角い紙があったもんだ。我々で古民家を直している。と言ったら、すらすらと目の前に家があるかのように書いてくれた。
入り口があって、土間があって、突き当たりは台所。としょりの寝室がその隣で三畳間。中座敷は無い家もあるわねぇ・・・。
どこの家も玄関は南向き。だから、表からぐるぅっと回って 玄関。っていう家もあるわ。
こ、このとおり。・・・生き字引に見えた。
台風14号:チャバ。それでも、やるっ!
2010年10月11日月曜日
「まだ死ななくていいのかな」とつぶやいた。
怖い場所、薄気味悪い部屋、それには意味があるんじゃないかな?
腐って今にも倒れそうな木、日も当たらず空気も流れない部屋、決して健康には見えぬもの。そんな所には近寄りたくない。
今日、私たちの12の木は非常に疲れきった面持ちで、「まだ死ななくていいのかな」とつぶやいたような気がした。
お世辞にも生気を取り戻したとはまだ言えない・・。
古屋(この辺の人は、昔の作りの家を「ふるや」と呼ぶ)は、メンテナンスをしなければ直ぐにダメになってしまう。
小濁で活動して改めて思った。
雪の始末は当たり前。家の回りの水の管理に落ち葉はき、草刈、掃除、戸の開け閉めまで。一年中手の休まる事は無い。だから住んでいないと病気になり、どんどん壊れていくのだ。
正直言ってそのまま放置しても、ただ土に戻るだけなんだろうが、今少し生き延びた「家」のつぶやき。手をかけた私たちにはそんな気持ちが伝わってくる。この家を作った汗、家族が過ごした歴史、家に染み付いたススがそこにある。
ひょっとしてこれからが大変。そうは解っていてももう辞めたくない。
12の木から、大きな生命力をいただけるような気がするから。
最大の難関。茸にたんぽぽ、トマトまで生えてきた、土とも言えるカヤの上で。
午後からは、国際アウトドア専門学校の”ショウタ”さんが初参加。
2010年10月9日土曜日
ようやく「+ぷらす」にたどり着いた
5月から始めた古民家ワーク。どうする、こうする・・。
中身を捨てよう、草を刈ろう・・、屋根を落とそう、足場を建てよう・・、材木を揃えよう・・
この12の木も、ようやくプラスに転じる時がきた。
資材を上げよう。
千田チーフ特製の竹串で針金を通す。屋根裏チームが針金を通し、外で縛る(ムービーで)↓
これが大活躍した串。
屋根の住人の殻。結構たくさん出てきた(ヘビ)
順調に午後の部。天気予報どおりに雨が降ってきて、15:30中止。しかしここまで行った!
屋根裏通信。
「おじゃまします…」
と入ってみたものの人気はなく、発電機の音だけがきこえます。
発電機から電源コードのさきを見ると上に人がいるようす。
土間のハシゴをのぼります。
そしてまたハシゴ。
その先の薄暗いところに灯と人声が。
ただ立てかけてあるわりには、垂直に見える(とても難易度が高い)はしごを登ってみると
あ、ごくろうさまです。
屋根裏チームが作業中でした。
さすがに暗いのでデジカメのフラッシュをON
針金を切って針状の棒につけ、
針金を切って針状の棒につけ、屋根の上にいるひとに声をかけながら表へグッと。
足場もせまく高いところの危険な作業なので
緊張感があるように思えますが
「いくよぉーー」「いいよぉーー」
なぜかのどかです。。
そしてファンタジー。
2010年10月3日日曜日
もうひとつの屋根裏
屋根裏に入らないことには屋根の修繕作業が出来ない。
でもその屋根裏への入り口が無い。
少し悩んだ結果一階の屋根を一部ぶち抜くことに。
ここからもそもそと入り込む。
しっかりしたもんです。
ご立派。